こんにちは。ひめごとです。
ブルーフライデー。
今週末、鳩とご飯食べたかったので誘ったけど、鳩はまだ予定が入ってないっていうのに断られちゃいました。結構ダメージ大。
昨夜は場外でうわごとをつぶやきましたが、親子の愛、夫婦の愛。ひめごとにはまだ理解不能な部分もあります。
ただ、つぶやきながらいろいろ考える中で、鳩に「ひめごとは母親みたい。これってあんまりよくないことだよね。」
と言われる原因が少しわかったような気がします。
鳩とひめごとは昔は同じ部署にいました。
デスクも斜向かいで、いつだって相手の様子が見える状態でした。
会社を出るときに目で合図して、駅で偶然会ったようにして一緒に帰る日もありました。
帰り道のコンビニに寄っていろいろ晩御飯を買うのが楽しかった。
家では今日会社であった出来事を話します。
主に部署の人の話が多くて、「△△の敬語ができてなくて、今日はかなり笑った」とか
「○○さんの発言は怪しくなかった?やっぱり2人が付き合っているのばれてるのかな。」とかたわいもない話。
ひめごとが部署を移動してからは席も遠くなってしまい、業務内容も違うために相手の話す内容が完全には理解できなくなりました。
もちろんきちんと聞いているのですが、実感度は今までよりも低い。
さらに、ひめごとの仕事が一時的に9月くらいから忙しくなり、終電で帰って朝も早く家を出るのが当たり前の毎日が2週間あまり続きました。
帰っても鳩とはほとんど話せなかったり、すでに寝ていたりするし、朝も鳩が寝てるうちに会社に行くこともありました。
仕事も生活も別々になって同じ文脈を共有できなくなったために、鳩の気持ちは離れていったのかな・・と思います。
鳩はそれをどう感じていたのか・・・。
その期間に、幸子と電話で話すようになったのは間違いないでしょう。
こんなことなら、仕事なんてしなきゃよかった、部署なんて移らなきゃよかった、とさえ思ってしまう日もあります。
でも、同じ文脈を共有する人としか付き合えないのだとしたら、究極は自分としか付き合えません。今はどんなに近く相手とも、いつまでも近いわけじゃないし。
遠くても、家族のようにお互いのことを理解しようと思えたらいいのに。
たとえ理解できなくても愛せればいいのに。
そうでないと、人と人との関係はうまくいかないのではないでしょうか。
ひめごとの中では、鳩とそういう関係を築きたいなという気持ちがあります。だから母親みたい、なんて言われるんじゃないのかな。
それを愛といったらおおげさなのかもしれないけど、理解できなくても少し離れていても相手を全部受け入れたいからなのではないでしょうか。
(その結果、鳩のことを子供扱いしないように気をつけないと。)
一緒にいい関係を作っていく自信がひめごとにはあるのだけど、鳩もそれを選んでくれたらいいな。
相手のことをこんなふうに受け入れようと思ったことは今までありませんでした。
これは愛?なの?
うわごとさんがいつも悩むのもわかる気がします。
愛って何?
こんなこと、とても人には聞けません。