こんにちは、ひめごとです。
先日こんなメッセージをいただきました。
>ひめごとさんのように純粋な人には絶対に幸せになってもらいたいと思います。
ありがとうございます。
blogを読んでもらっているだけでも心強いのに、コメントやメッセージをいただくとすごく嬉しいです。ひめごとは1人じゃないんだって気がして。
ただ、「純粋」という言葉が妙に心にひっかかりました。
ひめごとは純粋ではない、気がする。
このblog、結構正直に書いてます。起こった出来事も、感じた気持ちも。
鳩への想いも誇張・矮小なく、そのままのボリュームで書いているつもりです。
でも、ひめごとの想いが純粋ではないと自分で感じてしまうのは、おそらくひめごとの視点でしか書けないからでしょう。
当然ですが、鳩の気持ちは鳩にしかわかりません。
鳩、幸子、ひめごとの間に起こっていることは、3人3様それぞれ受け止め方が違うと思うのです。
だから時折、ひめごとが感じていることは全て妄想なんじゃないかと思うことがあります。
世界が捻じ曲がっているように見えるけど、ひめごとのバイアスが強くかかっているだけで本当は取り立てて騒ぐことじゃないんじゃないかと。
ひめごとは自分に都合が悪いことは無意識に排除しているかもしれません。カッコ悪いことはかかずに、ひめごとが正当化されるようなことだけ書いているかもしれません。
汚いですよね。
自分を語る汚さを実は自覚しているから「純粋」という言葉に違和感を覚えたんじゃないかと、思いました。
そして、もうひとつ。
こうしてblogに書いていること自体のちょっとした罪悪感があります。
文章にして気持ちを整理したり、それを読んでもらってコメントしてもらったりしてひめごとは救われています。
それがなきゃ耐えられなかったけど、鳩や幸子を陰で非難するいけないことなのか。と悩みます。
そこに書いてある想いは純粋かもしれないけど、書くこと自体は純粋ではない行為??
本当は鳩や幸子と直接話すことで、お互い共通の認識を持つことが重要なんですよね。
でも毎日そんなことをしていたら、擦り切れてしまいそうで勇気がありません。
擦り切れずにうまく話せるような自身もないし、そんな関係でもない。
だからこうしてblogに書くんでしょうね。
不純かもしれません。
純粋になりたい。。。
こんなこと、とても人には言えません。